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「2018年の抱負」      

日本人の男の平均余命は、2015年統計で、男性80.79歳。
2018年は、その年齢に又接近することになる。

僕の場合、日数にすると、1月1日から数えて、1898日たつと、この年齢になる。
これは平均であるから、これより前かもしれない。これよりあとであっても、そう大差があるわけでもない。

このようなのだから、宿題として割り当てられたタイトル、「2018年の抱負」も青年期のような明るさは、難しい。既に4−5年前から、下山の方向に自分を振り向けている。

この齢になると、生きる時間は確実に単調減少していくのが実感される。
そして自問する、この道行において何をするのが、もっともいいのだろう? と。

みんな、このことで苦慮している、と思う。1つの回答としては、自分史をつくる以上に、他人史をつくっていくことではないか、と考えた。
この2つを合わせれば「自分たち史」ができ、みんなと死ねるかも知れん。

そう、これを「2018年の抱負」としておきましょう。

抱負のつぎの行動指針としては、かっこよく、

      「Live as if you were to die tomorrow.

               Learn as if you were to live forever.」

      「明日死ぬと思って生きなさい。
           永遠に生きると思って勉強しなさい」

  78歳で亡くなったMahatma Ganghi (1869−1948)の言葉





「在学時年表-1(1955.2-1956.9)」     2018.3.2     

月 日

附中のこと、社会の動きメモ

備 考

1956

昭和31

8.4

地区別懇談会

7.26()

臨海学校へ出発   行き場所は天橋立 

列車で5時間半

7.20()

終業式、大掃除の日

7.9()

期末試験

7.4()

    三木武吉氏死去

6.14()

体育の時間懸垂、

6回できた

6.13()

中間考査の数学の 答案の返却あり
学年で80点以上が5 
平均は、女子
45、男子35点  

自分は66

6.11()

試験 

6.3()

    第24回通常国会終わり

   相撲千秋楽で若乃花勝治が優勝

5.10()

6時間目国語、突然、教生の先生が 試験をした。
附中の学校役員選挙、
  会長田川、 会計 元古

廊下の階段のベニヤ板壁をNGE, YMDが破った

4.13()

    炭労13日ぶりに解決

4.5()

    自由民主党総裁に鳩山一郎氏に決まった

4.2()

    世界卓球選手権大会開幕

4.1()

 雨

    ラジオ山口開局

    福岡テレビジョン局開局

    東京に雪--昭和17年以来

    選抜高等学校野球

    医薬分業実施

月 日

附中のこと、社会の動きメモ

備 考

1955

昭和30年

12.16(金)

輪ゴムの弓で当て合いの遊び

10.19(水)

56時限家庭科;味噌汁を作った

10.16(日)

運動会

9.5(月)

英数国テスト

9.3(土)

2学期始まる

8.17

    四日市高校初優勝

8.10

TV取付

7.21〜

夏休み、野球

6.21

    東条英機氏など6人の遺骨返還される

6.20 曇

中間考査の答案返却

6.3-6.7

中間考査 4日間

6.2

    イギリス隊カンチェンジュンガ 登頂

8579m

6.1

 X 線の検査、数学のテスト

5.25

授業参観 、3時間目に能力テスト

5.10

遠足、京都巡り

4.12

登校第一日

4.11

附属中学入学式

3.19(土)

原田小学校の卒業式

3.14(月)

原田小学校・送別学芸会

2.26(土)

合格発表;男子94名女子72名

 合計166名

2.24-2.25

二日間附属池田の入学試験







プライべート飛行

 境君の刺激を受けて、この歳になって飛行機に関心をもつようになりました。
 中学の時代からいうと、飛行機は本当に大変化した技術分野です。
 別の友人の話だが、1903年に、ライト兄弟が、初めて飛行に成功して
  55年後に我々は中学生。

 それから55年後が2013年。
 飛行機の歴史の、丁度、半分位の時に、附中にいたことになる。
 その友人が、利根川の河川敷にある、利根飛行場に連れて行ってくれました。
 こんな飛行場があるとは、殆どの人が知らない。
 大変小さな飛行場。しかし、飛行機の好きな人たちの集まり。
 離着陸を存分に見て、ついでにとういうわけで、4人乗りのセスナ機に乗ることに。
 わりと珍しい体験と思う。以下、その様子、

  (1)利根飛行場

DSCN3900a利根飛行場161218 DSCN3901a利根飛行場161218 DSCN3903a利根飛行場161218

 以下、動画の方が、迫力あるので、見てください。

  (2)離着陸
    161218a個人の黄色飛行機,着陸,利根飛行場      
    https://youtu.be/ZH3pn05q4H0

   161218bモーターグライダー機離陸,利根飛行場
      https://youtu.be/QSH7g6Gle7w
    161218cタクシング,利根飛行場up
      https://youtu.be/ZIX-DYJ21Yo
    161218d離陸
,利根飛行場

      https://youtu.be/8xdUM_vaH6Y

  (3)実際に、乗ってみる
    161218fセスナ機,始動,利根飛行場
      https://youtu.be/-omRXZI6Aec
    161218h守谷ー柏,セスナ機で飛行
      https://youtu.be/y_kHz2jTHYA





「はがき絵 シリーズ」



「はがき絵-苫小牧入港→上陸」             18'9/8

(11)苫小牧港水路灯台
           
 苫小牧まで17時間45分の船旅。    午後やっと、苫小牧港へ。
 小さな灯台が、水路を案内してくれる。

(12) 苫小牧港岸壁へ接近
          

 水路をゆっくり航行。奥まったところに、埠頭。
桟橋とは言いづらい、平板な岸壁。    ぐっと、速度を落とす。

(13) 苫小牧岸壁へ接岸操船
            
 フェリーは岸壁に平行にしてから、横移動用のスクリューを廻し、岸壁の方に押し出していく。
 海水が、船腹から静かに泡立つ。 振動はあまりしない。

(14) 苫小牧フェリー港
            
 接岸して停止。 隣の岸壁にもフェリ-。
この苫小牧港は、突堤が並んでいる港ではなく、海岸線沿いに着岸埠頭が続いているようだ。

(15) 苫小牧港下船
           

 下船。
 車は、後部口からの橋を渡って、次々に上陸。
本来の移動場所を得て、次々に命を得たかのごとく、自走し始める。  人も同じく陸上生物だ。

(16) 苫小牧埠頭
           

 苫小牧港の上下船口は、相当内陸側にある。振り返ると、乗ってきたフェリーが停泊。
もう、近しい感じがする船となった。なじむわけだな。

(17) 苫小牧駅
            
苫小牧駅までは、バス。それに乗り遅れると、バスの運行は殆どない。仕方なく、タクシ-。2000円くらい。
ここで、レンタカーを借りる。

(18) 苫小牧道
            

 レンターカーで、走り始める。ともかくスペースは十分にある。平坦な土地が広がる、

道も。4車線は当たり前。8車線のところもある。

(19) 札幌への道路
            

高速道への道。ここは山に入るので、2車線経済原則からいうと妥当。本土-東京並みロジック。

(20)苫小牧東ゲイト
             

高速道路入り口。この入口車線は、横幅が広い。交通量からいうと必要以上。
買収した用地量からいうと、妥当。空き地にしておくと、何か言われそう?




「はがき絵 ・ 大洗→苫小牧フェリー」            18'6/27

(1) 友部SA
            F:\000バックアップすべきファイル\0a3写真日記170920\000a627\HP原稿の絵\(1)180430m絵,友部SA.jpg  

2018年5月の連休は、茨城県大洗海岸から北海道まで、フェリーが出ていると言うので、行きました。遅まきながら。

千葉県柏からは、ま東に行けば、高層道路を通って1時間半くらいで、大洗までいけます。
途中、トイレ休憩。

            

(2) 大洗フェリー,ふらの
     F:\000バックアップすべきファイル\0a3写真日記170920\000a627\HP原稿の絵\(2)180430m絵,大洗フェリー,ふらの.jpg
大洗は非常に大きい港が整備されていました。その中にフェリ-用の岸壁もあり、これから乗る船も着いていました。想定していたより、ずっと大きい。1万1千トンだそうです。

(3) フェリー,だいせつ号
      F:\000バックアップすべきファイル\0a3写真日記170920\000a627\HP原稿の絵\(3)180430dm絵,フェリー,だいせつ.jpg 
フェリーは2便でていて、苫小牧を深夜に出たのが停泊。
大洗からも深夜1時くらいに出向する。だいせつ号と言う姉妹船です。

(4) 6楷デッキ
     F:\000バックアップすべきファイル\0a3写真日記170920\000a627\HP原稿の絵\(4)180519(土)絵,6楷デッキ180501dbm.jpg
船内は7階建て。操舵室のところは8階。3-4階くらいは車置き場。その下は、機関室、など。5-7階までロビーがあったりして、船旅を味わえる。

(5) キャビン
     F:\000バックアップすべきファイル\0a3写真日記170920\000a627\HP原稿の絵\(5)180501cm絵,ふらの船室.jpg
2人用の部屋。2段ベッド。窓のない部屋になった。料金は同じとか。早い者勝ち。

(6)ふらの甲板
     F:\000バックアップすべきファイル\0a3写真日記170920\000a627\HP原稿の絵\(6)180501bm絵,ふらの甲板.jpg
船室の後方には、露台があり、海風一杯。夏はいいだろね。

(7) ふらの全体像,上空から
          F:\000バックアップすべきファイル\0a3写真日記170920\000a627\HP原稿の絵\(7)180501cm絵,ふらの全体像,上空から.jpg
夕方19時頃出港。すぐ暗くなり、かなり早いスピードで推進。波がどんどん後へ去っていきます。スケッチは難しい。そこで、案内書から、航行しているところをスケッチ

(8)日の出,ふらの船上
        F:\000バックアップすべきファイル\0a3写真日記170920\000a627\HP原稿の絵\(8)180504am絵,日の出,ふらの船上.jpg
朝、窓がないので、寝坊。起きると日は高く上がっていました。

(9) フェリー甲板,
       F:\000バックアップすべきファイル\0a3写真日記170920\000a627\HP原稿の絵\(9)180505フェリー甲板,朝.jpg
三陸沖あたり。瀬戸内海と違って、島なし。海原のみ。


(10) 太平洋,ふらのから
         F:\000バックアップすべきファイル\0a3写真日記170920\000a627\HP原稿の絵\(10)180501am絵,太平洋,ふらのから.jpg
苫小牧まで17時間45分の船旅。海ばかり見ていると、物思いにふけることになる。






「横浜・山手界隈   8枚」        17'11/13

(1)

横浜山手トンネル

F:\000バックアップすべきファイル\00Line送付\送付済\横浜\170805a絵,朝,横浜山手トンネル散歩.jpg

2017年8月でしたが、日中は暑いので、朝、横浜の散歩に出ました。西の方へ行くと、中華街の向こうに、丘があり、かつては、外国人が居住したところ。その下にトンネル。もちろん、通りぬけてみました。

(2)

横浜山手トンネル

F:\000バックアップすべきファイル\00Line送付\送付済\横浜\170816a横浜山手トンネル.jpg

トンネルの中の片側には、ちゃんと歩道。しかし、車が通るたびに、音が響きます。

(3)

山手トンネル、西側出口

F:\000バックアップすべきファイル\00Line送付\送付済\横浜\170815a絵,山手トンネル、西側出口.jpg

トンネルを振り返って見たところ。横浜にトンネルがあるなんて、という感じ。

(4)

横浜山手西側街

F:\000バックアップすべきファイル\00Line送付\送付済\横浜\170817a横浜山手西側街.jpg

トンネルを抜けると、ここは、開けた平野部。町が広がっている。

(5)

横浜山手桜道陸橋

F:\000バックアップすべきファイル\00Line送付\送付済\横浜\170818a横浜山手桜道陸橋.jpg

トンネルの南側に、山手の家に行くための道路がついていて、そこをゆっくり登る。トンネルの前の道を、高架で跨いでいる。

(6)

JR根岸線,山手下

F:\000バックアップすべきファイル\00Line送付\送付済\横浜\170820aJR根岸線,山手下.jpg

さらに行くと、JR根岸線を跨いでいる。

(7)

山手の家並

C:\Users\shimokouji\Pictures\170821横浜山手の住宅.jpg

山手は、外国人のいたところらしく、ゆったりした住宅地。その伝統の流れから、瀟洒な家々が並ぶ。

(8)

山手から東へ降りる地蔵坂

C:\Users\shimokouji\Pictures\170822横浜地蔵坂.jpg

山手の丘を越えると、今度は東への坂道。まっすぐ東へ降りているため、傾斜が急な坂となっている。


「はがき絵-広島カープ応援」     17'8/23    

今年のプロ野球。
 広島カープ、大変強い。たぶん、セリーグ優勝。と認む。(法律用語で、先ず、ひっくりかえらない時のいい方)
応援も、ものすごい。
 広島から、横浜まで来るなんて当たり前。
付き合いました。が、2017.8.4の試合は、見るも哀れ。
 13-3で、横浜ベイスターズに完敗。
 こうした時の応援席を目撃しました。
 めったにない(今年のみ有効)ことなので、絵にしました。

F:\000バックアップすべきファイル\00Line送付\送付済\横浜\170807a横浜球場.jpg

(1)横浜スタジアム

勝負、まだ、予測せず、勝てると思って、スタジアムに入場。

F:\000バックアップすべきファイル\00Line送付\送付済\横浜\170809絵,カープ応援団.jpg

(2)カープ応援団

3塁側、赤一色のカープ応援団。

 意気けんこうな所。ベイスターズの応援団と比べるとうるさい。品がよくない

F:\000バックアップすべきファイル\00Line送付\送付済\横浜\170808a横浜球場表示板.jpg

(3)スコアボード

カープ先制。
1回表、3点。この分だと、通常通り、楽勝。
ところが、横浜が満塁打。一挙に、坂道を降りはじめる。心なしか、青色の応援団の方が背が高い感じ。

F:\000バックアップすべきファイル\00Line送付\送付済\横浜\170804-2a絵,綾,横浜球場.jpg

(4)7回の風船飛ばし、準備

未だ、挽回の可能性あり。
ひたすらに、風船を膨らます。

F:\000バックアップすべきファイル\0a3写真日記\0823\170810絵,新之介,横浜スタジアム (1).jpg

(5)風船飛ばし、準備完了

広島から来た少年応援者、強気の雰囲気ではない。
立ちあがった人が少ない。

F:\000バックアップすべきファイル\00Line送付\送付済\横浜\170804a絵,太陽一家,横浜球場.jpg

(6)9回表の応援

カープの負け、確定的。
負け宣告を待つ感じ。

F:\000バックアップすべきファイル\00Line送付\送付済\横浜\170804aベイスターズ勝インタビュー.jpg

(7)勝利インタビュー

試合終了。
カープ、赤の応援団は早々と退場。
ブルーのみ残留、光る。
ベイスターズはカープ戦での勝ち越し、決定という。



「彼岸花」                 2016.11.21

  

埼玉県高麗川に、百済の王族が日本に来て開いた地域があり、その王族を祭った高麗神社があります。
 近くの川が巾着のように曲がったところは、9月20日ごろになると、彼岸花が、100万本近く咲きます。
 二宮尊徳の関係で、知り合いの人がいて、見に来たら、ということで、何回か、参りました。思いついて、絵を描いたこともあるので、載せてみます。

F:\0h1報告110101から\ホームページ原稿\DR080829日高報徳神社正面.JPG

F:\0h1報告110101から\ホームページ原稿\131004a彼岸花,巾着田.jpg

F:\0h1報告110101から\ホームページ原稿\101017彼岸花.jpg

F:\0h1報告110101から\ホームページ原稿\101014巾着田の彼岸花.jpg

F:\0h1報告110101から\ホームページ原稿\101010彼岸花.jpg

F:\0h1報告110101から\ホームページ原稿\101012彼岸花.jpg

「はがき絵−フィレンツェ(10−12)」

090630フィレンツェ・バッソ要塞

(10)フィレンツェ・バッソ要塞
ルネッサンスの時代は、イタリアの戦国時代。
その緊張の中で、死にもぐるいで工夫をする精神がおういつしていたらしい。
だから、軍事も重要な要素だった。
フィレンツェにもその痕跡は残されている。
観光の対象になっていないが、駅の東北には、こうした石造りの防御施設があった。

090702サンタマリーアノヴェッラ教会・背面

(11)サンタマリーアノヴェッラ教会・背面
イタリアもアフリカ大陸プレートが北上してユーラシアプレートとぶつかり、アルプスを生んでいる境界地の上にある。だから、地震は起きている。火山も結構ある。日本と同じ。
しかし、日本は、こうした石造りの高層建築はない。五重塔など、木造ばかり。石垣はある。
何故か?
技術がなかった。
アーチという技術をローマが開発したことが、その後を決めたんだろうか
いずれにしろ、すごいのが、残っている。
中世の人々の情熱の結果を目に残す形となり、心からも消さずにいる。

(絵のメモはマッジョーレとなっているがこれ間違い)

090703サンタマリーアノヴェッラ教会・正面 (12)サンタマリーアノヴェッラ教会・正面

教会の前は広場になっているんだね?

そこに、こんなオベリスクが建てられている。

 これは、古代エジプトから引き継がれたものだろう。
 引き継がれたもの、他にもある。
  復活がそれだと言う。
  東洋では、これはなく、輪廻となる。
 古代エジプトは、ピラミッド、ミイラで終わってはいない。
  ちゃんと、現代まで、つながっている。

  意外ですねえ。想定外でした。


「はがき絵-フィレンツェ(7)-(9)」

(7)サン・ニッコロの堰

 アルノ川に堰があるとは、気付いている人が少ないのではないか。

 ポンテベッキオの上流、ダビンチ広場の下あたり。
 夏の時期で、渇水期
 堰の上で、寝そべっている人がいた。

 
(8)ポンテベッキョ
やはり、この橋はロマンがある。普通の橋ではないのだから。2階建、いや3階建?
最上階に、バザーリの回廊があるのが、ストーリー性抜群。
3次元の建物に時間という、人にとって永遠の不思議を重ねている。そして、そこにまた、ここを訪れた人の思い出を、折りたたんで重ねてくれる。とんでもない観光名所のように思えてならない。
フィレンツェのすごさはこうしたところにある。
外国人にとって、歴史を知って、そこを訪れる場合は、そうした痕跡をその場所にのこすことになる。
日常ではこうはゆかない。旅の故であろう。海外の人に、京都が日本人以上に、人気があるのは、こうした別の充足感があるためかもしれない。
(9)サンクローチェ教会


 花の聖母・大聖堂の北にある教会。

ミケランジェロ、ガリレオ、マキャべリ、の墓がある。



「はがき絵-フィレンツェ(4)-(6)

(4)サンタマリアノヴェッラ

フィレンツェには、大きな教会が多くある。
特に有名なのは3つかな。

サンタマリアノヴェッラもその1つ。
フィレンツェ駅に着くと、東南方向にある。

 
(4)サンタマリアノヴェッラ所在地の地図

(5)ウフッティ

フィレンツェの美術の集積地-ウフッティ。
ウフッティ という変な言葉、何かわからなかった。
あとで、イタリア語で事務所という意味だと知った。そんな名の美術館。
ここは、元政務用の事務所だったらしい。しかも多分、メジチの。その政務がなくなり、その空き部屋を美術館として使ったことから、ウフッティ美術館と呼ばれるようになり、フィレンツェ美術館ではないわけだ。
この練習絵は、その事務所の中庭から事務所建物を、描いてみたものです。

(6)ウフッティから市庁舎を見る

ウフッティの建物の中庭から反対方向を向くと、  市庁舎の塔が見えた。
  えらく細長く見える。
  これが石造り。
石を使っての土木・建築技術者はヨーロッパ中世においては大変な知識集団であったはず。
   材料研究者だった、ともいえる。

フリーメーソンが、大変な力を19世紀まで
 保有していたことは、説得性があるな。




「はがき絵-フィレンツェ(3),ピッティ宮殿」

  メジチの宮殿。
 トスカ
-ナ大公になったんですからねえ。

  そして、1800年ごろまで存続。
  ナポレオンの時に、消滅。

  歴史が厳然として、存在している。     日本と違った、その重さを感じるね。


「はがき絵-フィレンツェ(2)  ドオーモ」

 フィレンツェというと、かの有名な、教会。

 サンタ・マリア・デル・フィオーレ(花の聖母)
 大聖堂
を抜きにはできません。

 ちゃんと描くの対象にしてました。



「はがき絵-フィレンツェ(1),ホテルメディテラオーネ」   2016.7.27

絵を始めたのは、ピンチヒッターのためでした。

その年、二宮尊徳の一生を、絵でつづってみるというプロジェクトのスポンサーが亡くなり、
描いてもらう中国人水墨画家へ支払うお金の目処が立たなくなって。

それは、尊徳さんの固苦しいイメージを、もっと楽しい場面を描いて、
尊徳さんが、楽しく明るい人であったことを出そうとする企画で、
SK尊徳画像研究所(全くの私設)を設立し推進しようとしてました。
その事務局を担当していたのが、私でしたが、お金の基盤がなくなり、
中止せざるを得なかったのですが、関係者の一部から、存続を言われ、
タダでできる画家、として、私が10年修行してからやりますか、というような、
今にして思えば軽い発言から、ことが始まったわけです。

そのため、形だけでも、スタートしなくてはならなくなり、
2008年7月1日を期して、近所の公民館に行き、
そこでやっている絵手紙教室に男1人でしたが入りました。
そして修行だから、あたりかまわず描いてみることになって、
旅に出てきれいと思ったもの等を人物そっちのけで描いています。

今回は、皆様必ず行ってられるフィレンツェ。
ここで、数年前、SAE(アメリカ自動車学会)の大会があり、大変、印象に残った街でした。
描きました。

下手な絵ですが、付き合って下さい。

先ず、学会会場近くの、「ホテルメディテラオーネ」かなり高級なホテル。
私は泊っていません。(知り合いが泊りました)


「はがき絵-あじさい」               2016.6.20

    その後、ご無沙汰してました。

   追突事故に遭い、頭を打ち、目下、リハビリ中。     

   今は、あじさいの季節。絵を描くことなんかで、ならしています。
   以前描いたものもありましたので、それを含めて、投稿します。


 ヨーロッパにあじさいを紹介したのは、幕末、日本に来たシーボルトという。そして、その学名を、日本での妻、実際は、出島への娼婦であった「お滝さん」の名にちなんで、taki と名付けたと聞いたことがある。その妻との間には娘もいて、日本最初の女医になった。

 その後、幕末か明治になって、日本への渡航が許されるようになって、シーボルトは、昔の恋人のことを思って再度日本を訪れた。----いい話。  齢とると、わかる。

 あじさいは、そうした話をもって見ると、一層きれいに見える。
 桜とともに、日本を代表させたい花に思える。

(1)2012.6.9、絵手紙教室で

120609あじさい

(2)(3)2013.6.20に描いた「あじさい」

130620aアジサイ

130620bアジサイ

(4)2016.6.12に描いた「あじさい」

160612絵,あじさい2










最近読んだ本                     14'1/15 投稿

 勉強を進めてわかってきたのですが、二宮尊徳の主張は、「勉強するより実践せよ」、と行動にウェイトを置いた考え方です。そして実践は、毎日やることがポイントであるとし、そのため「積小為大」を提唱し、日々積み重ねていくことの大切さを教えています。

 が、この教えを具体的にやるのは、どうすればいいのか、が大問題です。苦し紛れに、本について、実践すべく、若い人たちと「読書、毎日20頁プロジェクト」を2012年から始めました。

 そうした中、中身より頁数重視で、本読みをやって来ましたが、2014年になりましたので、最近読んだ本をリストにしてみました。 10期のホームページに馴染むどうか、わからないけれど、前期高齢者がどんな興味を持つのか、の一事例として、掲載します。

 リストの中に、関心がある本がありましたら、メイルでお知らせください。記憶にあるうちでしたら,感想を言えます。

 ***************

地球日本史(1)

斎藤一人:無敵の人生

窯変源氏物語第1巻

英国太平記

「江戸」のいろは

変な人の書いた世の中のしくみ

窯変源氏物語(2)

猛女と呼ばれた淑女、斎藤茂太

琉球歴史の謎とロマン

人生の実力

知的余生の方法、渡部昇一

親日派のための弁明

二宮尊徳の政道論序説、岡田博

日本人へ,リーダー論,塩野七生

札幌農学校カメラ会;二宮尊徳翁研究

大奥、江戸歴史文化研究会

中谷巌の「プロになるなら」これをやれ!

日本沈没・第2部,小松左京

「自分」経営の心得、丸山敏雄著

テンペスト(上) (3) (4),池上永一

尊徳の実践経済倫理

殺人の四重奏,藤本めぐみ

日本は世界で一番夢も希望もある国です!,金美齢

”きよのさん”と歩く江戸600里,金森敦子

神の発見,五木寛之,森一政

中国の権力闘争,宮崎正弘

ナイルのほとりの物語,吉村作治

飢饉,荒川秀俊,教育社

今日よりよい明日はない,玉村 豊男,集英社新書

マンチュリアン・リポート,浅田次郎

「人生の答」の出し方,柳田邦男,新潮社

歩くとなぜいいか?大島清,PHP文庫

日本企業の生きる道,長谷川慶太郎

百歳の禅語,松原泰道,到知出版

経営倫理学のすすめ,水谷雅一,丸善ライブラリー

国家の罠,佐藤優,新潮社

人生の「秋」の生き方,堺屋太一編著,PHP研究所

ウルトラダラー,手嶋龍一,新潮社

日本はなぜ世界でいちばん人気があるのか,竹田 恒泰,PHP新書

二宮金次郎の幸福論, 中桐万里子,到知出版

フィレンツェからの手紙,松永伍一,丸善ライブラリー

ローマ帝国,青柳正規,岩波ジュニア新書

マラトン-小説ペルシャ戦争T, 塚本青史,幻冬舎

華族誕生-名誉と対面の明治,浅見雅男,リブロホート

,ツヴァイク,魯迅,トルストイ,ポプラ社

ギリシャ・エーゲ海「光と風の旅」,近藤まさたろ,東京書籍

プリンセス・マサコ,ベン・ヒルズ、第三書館

こころの不思議、神の領域, 遠藤周作,PHP文庫

吉村昭の平家物語,吉村昭,講談社文庫

「生活と経済と人間関係」,小関榮,大日本報徳社

わが千年の男たち,永井 路子,文春

 2030年 世界はこう変わる

養生の実技

なぜ外務省はダメになったか

王陽明と儒教.井上新甫,到知出版

覇王の夢,津本陽,幻冬舎

[激論] 日本経済、崖っぷちの決断 ~アベノミクス後を読む~

   長谷川 慶太郎,中原 圭介,徳間書房

35 歳までに必ずやるべきこと

箱根の坂(上) (中) (下),司馬遼太郎,講談社

必生 闘う仏教,佐々井秀嶺,集英社新書

中江藤樹,

長谷川慶太郎 アジアの行方,実業之日本社

2014 年-世界の真実,長谷川慶太郎,WAC

2013年後半の中国を予測する

ローマ賢帝,南川高志,講談社現代新書

粛清の嵐 小説フランス革命 X,佐藤賢一,集英社

悪名の棺‐笹川良一伝,工藤美代子,幻冬舎

前世への冒険,森下典子,光文社智恵の森文庫

徳の政治 小説フランス革命 ?,佐藤賢一,集英社

天命つきるその日まで,やなせたかし,アスキー新書

極楽とんぼの飛んだ道,平岩弓枝,講談社文庫

石門心学の思想,今井淳,山本真功編,ぺりかん社

霊の発見,五木寛之,鎌田東二,平凡社

子供は理系にせよ,大槻義彦,NHK出版

聖書の誤り,今西正次郎,KappaBooks

仏教・キリスト教、死に方・生き方, 玄侑宗久,講談社アルファ新書

日本人の美風, 出久根達郎,新潮新書

ふつうの人の個人史,大江晴月,中経出版

沖縄の歴史と旅,陳舜臣,PHPエル新書

ムガ−ル宮の密室,小森健太朗,原書房

「時代小説」から何を学ぶか,中島誠,オーエス出版社

達成の人-二宮金次郎早春録,植松三十里,中央公論新社

嫉妬する人、される人,谷沢永一,幻冬舎

もっと頭のいい「生き方」をしろ!,日下公人,三笠書房

長谷川慶太郎の大局を読む

天風先生座談,宇野千代,広済堂文庫

悪韓論

自省録,中曽根康弘,新潮社

実心実学の発見-いま甦る江戸期の思想,小川晴久編著,論創社

マダムの幻影,藤本ひとみ,朝日新聞社

打ちのめされるような,すごい小説,富岡幸一郎,飛鳥新社

北斗の人(上) (下),司馬遼太郎,講談社文庫

バチカン-ミステリアスな「神に仕える国」,秦野るり子,中公新書

いま中国で起きている大破局の真相,邱海涛

名字の謎‐その成り立ちから日本がわかる!,森岡浩,新潮OH!文庫

数量的な見方考え方―数学教育を根底から変える視点,板倉聖宣,仮説社

半七捕物帳(2),岡本綺堂

日本は史上最長の景気拡大に突入する アベノミクスは沈まない, 長谷川慶太郎,PHP

中国の知嚢(上),村山 吉広,中公文庫

等伯(上) (下),安部龍太郎,日本経済新聞出版社




 SD君、来横

 SD君が、友人の墓参りのために,上京してきた。

 2012.4の箕面以来ではないか。横浜にきてもらい、駅の近くの中華料理店で懇談。

 紹興酒ボトル1本、ビール3本、 まあ、弱くなった。

話は @あと何年生きられるか 

   Aキリスト教における実践 

   B隣人への働き掛けとして何ができるか、など  など---

(1)アルコール類,飲みきったあと、蘇州出身の女の子に撮ってもらった。シャッターの押し方が不慣れで、カメラが動いているのがよくわかるくらいだったね。それでも、CANON EXY ではこのくらいに撮れる。

(2)店の入口

 コンカードビル(20階建てくらいの大きなビル)の通りに面した1階。


(3)隆昌の位置

 お薦めの店。土曜日、日曜日、横浜駅近くは、混んでいるが、ほんの少し離れたこの店は、大変、空いている。



曲阜旅情

1.孔子廟

      その1.  入口の壁、門坊

 二宮尊徳の考え方は、「神儒仏正味三粒丸」と本人が言っているように、神道、儒教、仏教の教えを練り合わせて融合したものであるという。そこで、儒教も勉強しなくてはならないと思っていたところに、孔子の生まれ故郷であり、没した曲阜市と人を介して、ご縁ができ、訪問することになった。

こうして訪問した曲阜は、観光での旅とは違った感じを持つものである。そこで、この地をあったかい眼で見たものとして、紹介してみたくなった。ご容赦いただきたい。

まず、この地の代表的なスポット。これは孔子廟である。市の中心にドーンと日本の神社みたいに建物がつづいている。一番外は、城壁のような門である。仰聖門という。


                (1)仰聖門



日本の神社は、壁で仕切られているということはないが、中国では囲みが作られる。その正面は、こうしたがっしりした玄関を置くというのが様式であろう。この孔子廟は、中国において国宝第一号であることが記されている。

(2)石造りの城門の中

 この石造りの城門を入ると、また次の石造り。その上に建物がある。これが正門である。


(3)仰聖門の


 
石垣の上にあがるとこの石垣が楕円形になっていて、奥の通路の上に楼門が建てられていることがはっきりする。

 いかにも中国。もっとも、ここは中国思想の家元であるから、様式も本家であって当然。

(4)金声玉振坊



この城門をでると、碑門がある。まあ鳥居かな。それも4つある。最初が金声玉振坊?この鳥居みたいな門は碑坊というらしい。赤い字でほりこまれている。誰が書いたのかは見過ごしたが、この神域に文字をかけるのは、皇帝だけというから、宋明清王朝の誰かが書いたものであろう。

(5)櫺星門(れいせいもん)


 
金声玉振坊の次が、櫺星門(れいせいもん) この門には、屋根瓦が乗っていない。代わりに雲をかたどったものが柱の上部に取り付けられている。

碑坊というらしい。赤い字でほりこまれている。誰が書いたのかは見過ごしたが、この神域に文字をかけるのは、皇帝だけというから、宋明清王朝の誰かが書いたものであろう。


(6)太和元気坊


 
 太和元気とは、宇宙のすべてが和を保ち、人々が元気であることをいうらしい。儒教目指す世界観しく思える。

やがて日本では正月。この時の「謹賀新年」にも使えるらしい。

前方に、至聖廟の門が見える。


(7)至聖廟の門


至聖廟と右から読むようになっている。至聖とは孔子のこと。
すこし神妙な気分になってくる。聖地なのだ。

 この碑の後ろに紅い壁が見える。ここは大きな門である。聖時門という。